comotoyacoのブログ

似非健康ヲタク、心の通訳カウンセラーの備忘録ブログ。変化の記録帳。

聖職者って裏表あるものだよね?(人間は、禁じれば禁じるほどアングラを求めるからか?)

聖職者として、

・僧侶、神主、牧師等、宗教上の指導者

・教職員、児相等、教育の指導者

・医師、看護師、医療の指導(?)者

 

が、ぼんやりと頭に浮かぶけど、

清くあるべき、とは裏腹な現状が多いんではないかと思う。

 

人間なんて、枠に入れられれば、はみ出るもんだし、

光と影は、その強さに応じて比例するもんだと思ってる。

なので、「清くあるべき」人たちの世界は結構、普通に「黒い」。

 

というか、表向き光が当たっていればいるほど、

それに引き寄せられてきた人間は黒い、のかもしれない。。。

 

人間の面白いところは、

一つの出来事である事実を知っていても、

それを似た他の分野に適応できないとこだと思う。

自己矛盾とか、ダブルスタンダードが激しい人こそ陥るのか?

とか、理想が高い人もそうなりがちかな?

と思うのだが。

 

たとえば、

『聖職者』というカテゴリーでくくると、

【僧侶、神主、牧師】の世界で起こっていることは、

【教職員】や【医師、看護師】の世界でも起こりうることだと

考えて然るべきだと思う。

そしてまた、逆も然り。

 

けれども、

現場の人間は、同種の別世界でそれが起こっているとは

露にも思っていない場合がある。

(多くの場合は、気づきたくない、認めたくない、なのだろう)

 

 

これは主観が入るからなのか、

拒絶をしている度合いによっても変わってくるのか、

は人それぞれだろうけれども。

 

 

ま、こういうカラクリがわかっていながら

素で勝手に例外を作ってしまっている自分に気づくと

『あぁ、やっぱり自分も人間なんだなぁ』と思う。。。

寄っかかりたい願望(心理学では依存と呼ぶ?)

学校卒業して社会人になって

ずーっと、これを禁じてたんだなー?

と思う。

 

たぶん、得意な人(笑)なので、

余計に拒絶していたと思う。

(でも、たまに出ちゃう)

 

寄りかかるという行為は

別に悪いことではないのだろうけど、

しんどくなることは多いと思う。

 

理想(?)は

寄り添うかな?と最近思っている。

郵便好き(メールは便利だけど、手紙っていいな)

今、思い出したんだけど、

幼稚園の時、園内で「お友達にお手紙を出す」というイベント(?)

があった。

 

先生たちが切手を作ったりしてて、

結構凝ってた。

園長先生に手紙を出すと、本物の切手で返ってくる、

という噂(?)もあって、実際だしたけど、

手作り切手で返ってきて残念だった。。。し、

「みんながいっぱいだして切手がなくなったから、手作り(偽物)になった」

という噂もその後出た。笑

 

小っちゃい時は、年賀状にしろ何にしろ、

自分宛ての物がくるって珍しかったからか?

手紙が来たら、やたら嬉しかったのを覚えてるし、

いまだにハガキとか切手とか大好きなので、

旅行に行ったら、現地でポストカードを調達して自分宛てに出したりしている。

 

ちなみに日本の赤い郵便ポストも、フォルム的に何故か大好きで、

その印象がものすごく強かったため、

アメリカに初めて行ったとき、ポストを探すのに一苦労したのを覚えている。笑

(向こうのポストは、青色が多いし、

形も最初見たときは『これ、ポスト。。?』と思った)

 

ちなみに私は小心者なので(それが原因かは疑問だが)

初めてのことは、ものすごく苦手意識があり

「やりたいなー」と思っても躊躇するクセがある。

海外から郵便を出すときも、3回ぐらい躊躇して、ようやく

意を決して切手を買ったのを、いまでも覚えている。。。笑

言葉通りに受け止める(アスペルガーって、きっとこんな気質)

昔話になるのだが、

小学生の頃、何かのきっかけで親を怒らせたようで

「もう、帰ってこなくていい」と通告を受けた。

 

普通の子(?)だったら、

『うぁわーん、ごめんなさいー、もうしませんー』

とか泣き叫びながら許しを請うんだろうけど、

 

私は

『そっか、しょうがないなー。もう夕方だしどうしようかなー?

とりあえず、これから動きようがないし、今日は公園で過ごすか。。。?

雨も今夜は降らないだろうしなぁ。

そんで明日になったら朝一におばあちゃんのトコ行ってみようか

朝から歩いたら、晩には着くだろうし』

てなことを考えて、公園の砂場かどっかで、しばらくボーっとしていた。

 

そこへ親登場。

まさか子供が額面通りに受け止めて、親の希望を通そうとしているとは思いもせず、

自分の想定の行動をしてこない子供を心配になってやってきたようで、

でも、憮然とした表情で(親の威厳を保とうと?)

「反省したの?それなら帰ってきなさい」

と声をかけてきたので

黙ってついて帰って行ったことがある。

(今思うと、あの時、迎えに来られなかったら、

ホントにいなくなってただろうなー。。。と思う)

 

別に親を馬鹿にしていたとか、そういうことはなかった(ハズ)だが、

『大人って何?なんでこんな行動するの?』

と思ってたフシもあるようで、

さらには、超現実的だし、とりあえずその状況を受け入れて、

その場の雰囲気に合わせた決着をつけるように行動を起こしてしまうクセ

みたいなもんがついてた(現在進行形で、ついてる?)ようだ。

 

そして、中身とは裏腹に、

『求められた役割を受け入れ、しかも期待以上のモノを提供してしまう』

素質があるようで。。。

自分の意志とかは、とりあえず横に置いてしまい、

場の中心にいる人物(または、自分が優先する人物)の意志を通そうと働いてしまう。

たとえ、それが自分にとって不利であろうが、望まないものだろうが。

 

最近になって、ようやく自分のそういう素養について気づき

『あー、どうしよっかなー、これ。。。』

と思案している最中である。

 

というわけで(?)、

お子さんが「アスペっぽいなー?」と思われている親御さん方、

ご注意ください。

 

大人は結構簡単に軽口で「あんたは要らない子ー(笑)」とか言っちゃいますが、

子どもって(アスペ傾向あってもなくても)純粋だから、

本気で額面通りにその言葉受け止めたりして

親の願いを叶えようと(自分を消そうと)したり

そうじゃなくても、自分に「要らない子」レッテルを貼ったりして

その後の人生を生きづらいものにしてしまったりします。。。

 

物事がこんがらがる原因って

案外単純で、だからこそ、わからなくて悩むんだと思う。。。

「お勤めする」という意味合いのものがない(機会があったのでお試しで占ってもらった)

えっと、ちょっとご縁があったので、

お試しでちょこっと四柱推命で占っていただいたのですが。。。

 

『起業、いいですねぇ。

お勤めするという意味のもの、一つもないですもん』

 

「(えっ??(@_@;???)」

 

という感じのやり取りがありました。。。

言葉は正確ではないかと思いますが、大きな記憶違いもないはず。。。

 

えっとぉ、私、10年以上、会社勤め(転職ありですが)してたんですが、

そーとー、無理してきたってこと??

 

いや、

そんな人間でも会社勤めが出来るほどのシステムを持った日本社会すごい?

 

どっちに驚けばいいのだ?

ちょっと衝撃でした。

 

西洋占星術でもそういうこと言われましたが。。。

ちゃんと示されてるんですね。

 

青写真にないことやると、大変ってことですね。

逆にいうと、

本人の頑張りや、周囲の協力があれば結構何でも出来るみたいですが。。。

やっぱり、自分に合ったことを知ること、

それをすることって大事なんだと思う。

スピとかオカルトとか(否定はしないけど、ここは物質社会。何するために来たの?)

スピとかオカルトとか。

 

『どう思ってる?』と訊かれると

「否定はしないけど、現実的なことしないでそっちをするのは違うと思う」

と答えている。

 

これは、私が実際にお話しさせていただいて

「この人の言ってること信頼できるなー」

と感じた人から教えていただいたことをまとめた感じなのだけれど。

 

精神世界はあると思っているし、

視えない人ですが。。。

そっちのことも大事だとは思うのだけれど、

私たちがいるのは物質世界。身体をまとった世界。

こっちのことを学びたくてやってきているはずなのだから、

まず、こっちで出来ることちゃんとやろうよ。

と思う。

 

だから、

あっちの世界を否定はしないけど、

こっちの世界のこと、手を抜かずにやろうよ、

って言い続けるし、まず、自分がする。

右手と左手(利き手の修正は、個性の否定に通じるかも知れない)

私は、生まれたときは左利きだった。

が、

『世の中(日本)は右利きの人向けに作られている。

左利きだと何かと不便だ』

という親の方針の元、右利きに修正された。

(情操教育の一環でピアノを習わせてもらったりしてたので、

左手もなんだかんだと使う機会があり機能面では結構色々残っているようだが

握力などの力面では落ちた部分があるので、

身体のバランスは少し危ういところがあるのだと思う。。。)

 

まぁ、親心なんだろうけど、見方を変えたら

『えげつない個性否定』になるだろう。笑

生まれ持ったもの(利き手)を早い段階(箸を覚える年齢)で修正されるのだから。

 

事実、私は、子供の頃なぜか

『右手は良い子、左手は悪い子』という観念を持っていた。。。

 

あと、心のどこかで

『どうせ自分の思う通りにはならない。どこかで修正が入ってしまう』

と思っているところもあったようだ。

 

右手への修正の方法が、真っ向からの否定ではなく、

やんわり『左手よく使うねー、じゃぁ、右手も使ってみようかー?』的な

指導方法だったらしく、その影響か?

 

主体性に欠けるというか、どこか思い通りにすることに諦めを持っている

ような気がする。

(これは星の配置もあるのかも知れないが)

 

 

その一方で、感性(左利き→右脳)を理屈(右利き→左脳)に変換する

という芸当を身に着けたのかも知れないなー?

とぼんやり思っている。

 

人間万事塞翁が馬

良いことだけ、悪いことだけ、というのはないのだ。

どう解釈するか?の問題なのだ。