comotoyacoのブログ

自分で自分を幸せにするお手伝い。整調サポートカウンセラーの記録帳。

伝える書き方、理解してもらう書き方、感じ取ってもらう書き方

文章って色んな形式がある

 

目的に応じて、色んな書き方ができると楽しい。

 

想いを伝える

取説のように理解を促す

感じるままに書き綴る

 

それぞれのチャンネルに合う相手が必ずいる

 

から、別に形式にこだわらなくていいと思う

その人その人が持ってるカラーを大切に

 

けど、日本語として成り立つ文章にはした方がいいかも?

 

色んな書き方ができると

選択肢が広がって、遊びは広がる

 

でも、まず、書き方を学ぶより先に

好きな文章をさがす

お手本を見つける

 

それが早道だと思う

 

私は、リズムを感じられる文章を書く人が好き

光をあてる角度を変えてみる

きれいな、まんまるじゃないから

あちこちに削り残しの部分があるから

色んな角度で光をあててみると

ちょっとの違いで絶妙な色合いの輝きになる

 

一種類の自分じゃなく、

色んな自分を面白がってみる

 

色んな魅せ方を探してみる

 

人に合わせて魅せ方を変えてみたりする

 

自分の意志で、それを選択する

あくまで、主導は自分にある

 

生き方を楽しんでみる

 

全ては幅

物事って必ずセットになってて

優しいと厳しいがセット。

 

優しいだけが単体で存在するわけもなく、

実は、見えにくいだけで厳しいもある。

優しさの幅だけ、厳しさの幅も持っている。

 

優しいからって、甘えまくって、

許容範囲を超えてしまうと、

途端、厳しさの反面を見ることになる。

 

それまでに溜め込んだ分の厳しさをみる羽目になる。

どんな結末だろうね?

まだまだ自分にダメ出ししていることに気付く

ふとした瞬間に落ち込んで、

結局、深堀すると、

自分で自分にダメ出ししていることに気付く。

 

なんだかんだと、まだ、100%自分が好き

ということになっていないことに気付く。

 

過去の行動を思い出して、

『あの時、気づいていれば』

とか後ろ向きな発想になったとき、

『今の自分を認めきれていない』

のだなぁ、と改めて思う。

 

何が出来るから、

とか、

どれだけ価値のあるものを持っているから、

とか、

ものすごい”誰か”と一緒にいるから

ではなく、

デコボコの、ありのままの自分をそのまま受け入れる。

 

へっこんでいるように見えるところも、

それがあるからこそ人に関わってもらえる。

形上は、助けてもらう、なのだけど

見方を変えると、人に活躍してもらうためのスペース

素直に相手の好意を受け取れる自分でいる。

 

逆の立場だったら、自分が相手に何かしてあげることがある、

って、とっても嬉しいことだと思う。

ヒーローになりたいわけでも、

活躍したり手柄をあげたいわけでも、

なんでもないのだけれど、

ただただ、その人の役に立てるって、

単純にうれしいこと。

 

だからこそ、

大好きな人たちに囲まれるための選択をする。

どうでもいい人に何かしたりしてもらったりするより、

本当に好きな人の方が、私は嬉しい。

 

もちろん、誰でも分け隔てなく接することが出来れば、

それはそれで素晴らしいことだとは思うのだけれど、

今の私は、まず、大好きな人たちに囲まれたい。

その段階なのだ。

 

好きじゃない人に対して、邪険な態度をとるというわけではなくて。

相容れない人とは、傷つけ合わないためにも

適切な距離を取る。

 

場合によっては、一生離れるという選択も。

 

日本人だけでも、一億二千万の人がいるという。

キライ、だと思う人と、わざわざ一緒にいなくていいよね。

我慢しなくていいよね。

 

心地よい関係性を結べる人と優先して付き合う。

 

自分の主義主張、何を大事にしているかを明確にする。

それが違うからキライになるのではなく、

『あぁ、目指してるもの、求めてるものが違うのだなぁ』

と受け入れて、適切な距離を保つ。

 

ただそれだけのことなのだ。

それを続けることによって、

快適な環境が整えられていく。

 

そういうことも、

自分を好きでいるためには必要なこと。

なんだと最近感じるようになってきた。

 

それを行うことって、

『嫌われる勇気』を持つこと、なんだろな。

 

でも、ホントは、

『嫌ってる』のは、相手ではなく、自分。

なのだよね。

人は無意識に、原家族の状況を再現しようとする

生まれてすぐに身に着けた環境

関係性。

 

これは意識しようとしまいと、

文字通り、身に沁みついている。

 

なので、友人関係でも、恋愛関係でも、仕事の関係でも、

人間関係の中に、その習慣を持ちこんでしまう。

再現しようとしてしまう。

 

例え、居心地の悪い関係性でも、

まったく知らない状況を作るより、

慣れてる方がマシ、だと思ってしまうから。

 

本当は、チャレンジして変えてしまえば楽なのにね。

新しい関係性ができるのにね。

 

そのために生まれて、人に出会ってるのにね。

余白って大事

一生懸命がいい、とされる風潮があると、

何でもかんでも全力、余白を残さず埋め尽くそうと

人はしてしまうもんだけど。

 

絵でも音楽でも人間関係でも、

大事なのは、どう余白(距離)を取るか?

 

何を付け加えるか?

ではなく、

如何に削ぎ落とすか?

が重要。

 

色々技術を身に着けると、

それを試したくなる。

力を誇示したくなる。

 

でも、本当に強い人は、

そんなことしない。

 

必要なときに、必要最低限の力で、必要なことをする。

 

常に力を抜いた状態でいる。

何かするときも、如何に力を抜いた状態でできるか?

に注目している。

 

満員のエレベータにのるより、

人がまばらなトコに乗り込みたいよね。

どんな言い方をしても、ネガティブな受け取り方をする人はいる

発言でも文章でも、

好意的な受け取り方をする人がいる一方、

どんなに言い方を変えたとしても

言葉を受け取らないどころか、

否定的な受け取り方しかしない人がいる。

 

これはその人にまだ

『その言葉を受け取る時期がきてない』

のだから、

送り手には、どうしようもない。

 

『私の伝え方が。。。』だなんて思わなくていい。

『受け取るまで伝えよう』としなくていい。

 

受け取らない人は、受け取らない。

受け取ってくれる人を優先すればいい。

 

受け取らない人に受け取らせようとすると意固地になるから、

しばらく放っておけばいい。