comotoyacoのブログ

似非健康ヲタク、心の通訳カウンセラーの備忘録ブログ。変化の記録帳。

名刺の話

人って、やはり

 

『肩書・資格として明記できないところにその人の本質がある』

 

のだなぁ?

とか改めて思ってしまった

 

そもそも、なぜ名刺を作ろうとしたのか?

という話にも繋がるのかも知れないが、

最近、初めての人と会う機会が増え、

その時に、名刺をいただく頻度が高くなった

 

別に何かの看板しょって会ってるわけでも、

起業しているわけでもないので、別に持ってなくてもよいのだが、

個人同士のやり取りでも、

『この人とは今後も関わりを持ちたい、繋がっていたい』

と思ったとき、

『連絡先の交換をするのに何かあると便利だなぁ』

と実感する機会が増えたからである

 

昔と比べると、比較的容易に連絡を取り合うことができるようになってはいるが

(それも人々の可動範囲が広がり、既存の人間関係の枠を超えて活動する機会が増え、

お互いのバックボーンを知らない状態で新たな関係性が始まることとなったから

名刺のようなものが必要になってきたのだよなぁ。。。)

連絡先を渡したからといって相手も同様に感じてくれていないと、

なかなか関係は発展しないのだろうけれど、

『相手に手間をかけさせず』

『ほんの短い偶然といえる時間』

でも、チャンスを逃さず伝えるには、いいツールだなぁ、

と、いまさらながら既存の価値を見直した結果というやつである。。。

人の都合も考えず、自分の思い・売り込みだけのために渡す場合は、

逆に嫌われる危険性も孕んでいるのは言うまでもないことだろうが

 

で、自分の名刺を作ろう、と思ったときに、

『せっかくなら、ただ連絡先を乗せるだけでなく、

自分が表現したいことが載せられないだろうか?』

と思いつき

『じゃぁ、その表現したいことはなんだろう?』

考えたとき、

『これはやはり、

これまで色んな方からいただいた名刺を参考にさせていただこう』

と、改めてじっくり

『その人が表現しようとしていること』

に思いを馳せながら眺めていて気づいたことだったりするのだが

わずか、手のひらサイズの紙面から読み取れる情報の多いこと。。。

 

書かれている内容もさることながら、

何気なく受け取っていた名刺そのものが表現していることの多さに気づき、

やはり、

『肩書・資格として明記できないところにその人の本質がある』

のだなぁ、と思ったというわけである