comotoyacoのブログ

似非健康ヲタク、心の通訳カウンセラーの備忘録ブログ。変化の記録帳。

右手と左手(利き手の修正は、個性の否定に通じるかも知れない)

私は、生まれたときは左利きだった。

が、

『世の中(日本)は右利きの人向けに作られている。

左利きだと何かと不便だ』

という親の方針の元、右利きに修正された。

(情操教育の一環でピアノを習わせてもらったりしてたので、

左手もなんだかんだと使う機会があり機能面では結構色々残っているようだが

握力などの力面では落ちた部分があるので、

身体のバランスは少し危ういところがあるのだと思う。。。)

 

まぁ、親心なんだろうけど、見方を変えたら

『えげつない個性否定』になるだろう。笑

生まれ持ったもの(利き手)を早い段階(箸を覚える年齢)で修正されるのだから。

 

事実、私は、子供の頃なぜか

『右手は良い子、左手は悪い子』という観念を持っていた。。。

 

あと、心のどこかで

『どうせ自分の思う通りにはならない。どこかで修正が入ってしまう』

と思っているところもあったようだ。

 

右手への修正の方法が、真っ向からの否定ではなく、

やんわり『左手よく使うねー、じゃぁ、右手も使ってみようかー?』的な

指導方法だったらしく、その影響か?

 

主体性に欠けるというか、どこか思い通りにすることに諦めを持っている

ような気がする。

(これは星の配置もあるのかも知れないが)

 

 

その一方で、感性(左利き→右脳)を理屈(右利き→左脳)に変換する

という芸当を身に着けたのかも知れないなー?

とぼんやり思っている。

 

人間万事塞翁が馬

良いことだけ、悪いことだけ、というのはないのだ。

どう解釈するか?の問題なのだ。