comotoyacoのブログ

自分で自分を幸せにするお手伝い。整調サポートカウンセラーの記録帳。

『好かれたい』も『嫌われてもいい』もちょっと不自然?【やっぱ中庸(?)がいいよね】

昨年末から、人間関係について

ちょこちょこと考えさせられることが起きていて、

そこで改めて

私は、『両極に走りがち』なのだなー、

と思ったことでもあるのだが。

 

人間関係で、

『好かれたい』という気持ちも『嫌われてもいい』という気持ちも

結局、エゴ塗れで自己中心的な考えでしかないのだなぁ。

と思ったし、そういう思いはどちらかというと

結果が受け入れがたいものになる傾向が高いのかな?と思う。

 

潜在意識のことに焦点を当てると

『(私は好かれていない状態なので)好かれたい』(要望・期待)

『(この私を受け入れてくれないのであれば)嫌われてもいい』(拒絶)

という()内の気持ちが裏に潜んでいる、ということが多いな、と思ったからだ。

 

これは、結局()内の部分を顕在化してしまう気がするので

あまり健全ではないように思えるし、

経験上、結果も好ましくないことが多いような気がする。

 

どうせ思うのであれば

『(どうせ取り繕っても結局はバレテしまうので、

ありのまま、素の自分を出すが、

それに対する意味づけ(選択)は相手に委ねて/任して)結論を受け入れる』

がいいのかなぁ?と思った。

 

ただ、人は、過去の経験を基準に(ありもしない想定になったものに対して)

判断したり反応したりしてしまいがちで、

それは、結局、

本来別の事象であることに対して、色眼鏡をかけて判断していることとなり、

色々と拗らす結果となるので、

なるべく、都度都度の対応を心掛け、

後から蒸し返して『あーだ、こーだ』言わずに済むように、

思ったことはその場で言う。

(心屋さんでいうところの『後出しジャンケンをしない』というやつ?)

その場で言えなかったことは、自分の落ち度(自己責任)

であること認め潔く引き下がる。

つまり、人の所為にしない、

というのが重要なのだなー、とつくづく思った。

 

人のことはよく見えるけれど、

どれだけ客観的であることを心掛けていても、

『自分のこととなると、難しいなぁ』と未だに思う。

 

日々、鍛練あるのみ、

なのか、出来ないことも含めて受け入れる

を実行しているだけ、なのか。。。

 

とりあえず、

『全ては自分次第』という軸に、

以前より早い段階で戻せるようになったということで、良し、としよう。(^^;