comotoyacoのブログ

自分で自分を幸せにするお手伝い。整調サポートカウンセラーの記録帳。

思い出話 【要所要所で思いが叶えられない】【自己(個性)を否定される感覚】話が大きくなるとLGBTの方とか。。?

ちらほらと、

昔のこととかを思い出したりしては、

メンタル・デトックス絶賛続行中なのですが、

ふと、

『人生の節目節目というか要所要所で、

自分を否定された気になることをされた』

という感覚があったこと気付く。

 

まー、小さな話なんだけど、

たとえば、成人式の着物。

買ってもらっただけ、贅沢だと思うのですが、

ぶっちゃけ、私は欲しくなかった。

 

というか、他の物にして欲しかった。

そして、それも言った。。。

 

なんかね、ホント、贅沢なこと言ってるんだろうけど、

女の子=振袖

という図式が、どうも『???』だったんですよね。

『それより日常に使えるモノをっ』

みたいな。

それこそ、パソコン欲しい。

みたいな。

(結局その後、末っ子駄々捏ねパワーで強奪しました。。。

ていうか、マジで必要だったし、使いまくったし)

 

『女子全員が、『振袖、わーい☆』って思うなよ?』

みたいな。

すみません、かなり男性脳強いので。。。

あ、オヤを恨んでるわけではない。

理解されなかったことは、哀しかったのだけれど。

 

 

親の祖父母の想いがありがたいのだけど、

ちょっと受け取れないというか。。。

おかげさまで(?)、この着物、2~3回しか来てません。

結局、成人式は、天候不良のトラブルが重なり、着れませんでしたー。

(というか、今思えば、着たくなかったから、天候変えちゃったのかも??)

 

2回目は、きょうだいの結婚式(チャペル)。。。

(振袖着る必要性あるか??)

で、着付けしてもらったとこでメイクしてもらい、

翌日、見事に顔全面アレルギー起こして爛れ、

そのまま接客業のバイトに行きました。ちゃんちゃん。

みたいな?

どんだけイヤがってんねん。。。

 

ほかにも、ちらほら、こういう思いしたことあったなぁ?

なんか、『お仕着せ』られるのがいやなんだなー?

と思ってたら、ふと

『(人によっては)LGBTの人は、こういうことを

日常茶飯的に体験しているのかもしれないなぁ?』

という考えに行き当たりました。

人は、それぞれ違うから、全員が全員そうとは言い切れないけれど、

かなりの確率で。。?

 

そら、ツライ。

自分ではどうしようもないところで、

『世間一般でいうところの抗いようのない常識』

に飲み込まれる感覚。

『自己(個性)を否定される』感覚。

しかも、不特定多数の人に。

 

じわりじわりと身を削られていくような思いがするだろうなぁ。と。。。

『女性だから、男性だから』

という感覚でなく

『人間だから』

という感覚で人を見れる世の中になったら。。。

少しは、少数派の方たちも生きやすくなるのかなぁ?

(私も、気づかずに持ってしまってる固定概念が傷つけてないかなぁ?)

 

肉体的に叶えられないものとかは、

どうしても存在してしまうのだろうけど、

人の固定概念とか、価値観でなんらかの判断をされてしまう事態

は、それぞれが枠を大きく持つことで、

変えていけるんではないかな?と思う。

 

『理解されない』、『受け入れてもらえない』

そういう感覚が、人を傷つけるのだと思う。

 

『普通』とか『常識』

一般的に、何気なく使われる言葉こそが、

一番傷つく言葉になってしまっているのかも知れないのだと。

 

そして、こういうことって、

内容によっては、概念を取り外せば、解決できることだって

かなりあると思う。

(気づくの大変やと思うけど。

習性を修正するのも。。。シャレか。。?orz)

 

楽観的な観測かも知れんが。

 

でもさ、悲観的になっても、何も変わらん。

臆病に、傷つくことへの防御反応になっても、

結局、傷つくんだよ。

どんだけ、最悪を予想しようと。

 

ま、不謹慎(?)ながら、

個人的には、『バイは、この世で最大限(最高?)の人間愛』

って思ってて。。。

(だって、性別関係なく人を愛せるってすごくない?)

 

これこそ、

この意見が否定されるとしたら、その背景は、

『かくあらねばならない』

ってのが、一番の理由だよな。

って思うのでした。。。